<Ⅰ.憲法(内閣府・法務省・与野党・国民全体等)>

① 改正・新憲法
・戦後GHQ主導により制定された現在の日本国憲法に対する改憲論は、現在、自民党党首選への立候補を表明した安部晋三官房長官の掲げる最大公約として注目を集めている。
なぜ今、憲法改正が必要なのか?これまで1990年代の日本の対外的軍事対応としては、PKO協力法、イラク戦争への後方部隊派遣を実現するためのテロ等別措置法、さらに憲法の解釈論などに見られるように場当たり的な対応に終始して来たことは周知の通りである。
そういった対応になった理由は、戦後の日本という国が、本質的に独自の対外的軍事戦略と言う明確な考えを持って来なかった事に原因があると思われる。その時に足枷となっているのが、いうまでもなく平和憲法の象徴である9条である。憲法改正は衆参両議院の各2/3の賛成が必要と言う手続き的難しさもあり、毎回議論には上るものの改正には至らなかった。つまり9条のおかげで、良くも悪くも論争が非常に非軍事的、非戦略的視点に基づいたものとなってしまっている。その事は、現実的な国防・自衛のための軍備増強や、戦略立案までも封じ込める事となっていると思われる。もちろん与野党の政治家や、外務省や防衛庁の一部、または学者等の有識者には、日本の軍事的戦略の無さを問題視し、それぞれの持論を持ちメディアなどで訴える人など存在すると思われるが、国家全体としての戦略は無いと断言出来るのではないかと思う。つまり、戦後与党が外交戦略の機軸として明確にしてきたのは、「日米関係最重視」「国連中心外交」「アジア友好外交」の3点である。そのバランスの取れた協調姿勢自体に、異議を唱えるつもりはないが、日本の周辺を見渡した時に中国、ロシア、インド、そして太平洋の向こうにはアメリカという大国は独自の軍事戦略を持ち、今もってポスト冷戦時代における自国の優位性の実現のための軍事的駆け引きを行っているというのが真実である。この事実に対して、明確な独自の戦略が無い事は、非常に危ういのではないかと思う。また、まともな国と思われないのではないかと自然に思う。また、日本を取り巻く軍事的環境が脈々と変化している事実を明確に危機感を持って認識している成人日本人がどれだけいるのだろうか。もちろん日本人は優秀な人材が多く、筆者などより多くの知識と優れた考察力、さらに社会的人的ネットワークを持つ人は多いと思われる。にもかかわらず筆者が率直にも感じるのは、日本人(特に同年代を中心として若者)の多くがあまりにも国際政治や軍事的事象について興味が無いと言う事である。なぜであろうか?いくつかの理由としては、戦後GHQの政策的意図によって日本の武装解除、永久的に軍事国家としての台頭を許さないという政策により、日本国民が国家論的思想、軍事的必要性に関して考える事をしなくなったという点はあるのではないかと思う。また、戦後の一億総懺悔論により気分一新して、戦争はもういいから経済復興をして自分の生活を良くするぞと言う流れになり、その時点において深く第2次大戦の意味を考えなかったと言う事が今に続いているのではないかと思う。結果的に、日本は吉田茂佐藤栄作田中角栄などの経済重視路線により、経済高度成長時代を経て世界第2位の経済大国に躍進した。このこと自体は非常に誇らしい事であり、端的に言って日本人という民族の優秀さを示していると言って良いと思う。もちろん他の民族と比べて劣っているとか優れているという意味でなく、日本国民としてがんばってしっかりと成果を出したと言う事だと思う。また、戦後61年間を通じて、経済成長を成し遂げるとともに戦争を起こさなかったと言う事も誇れる事である。では、第2次大戦へと突入していった日本人と今の日本人は何か変わったのだろうか?また、何が変わっていないのだろうか?そもそも日本は戦国時代という乱世の時代も経験しているが、概ね江戸、明治、戦後昭和と戦争や大きな戦争に関わらなかった時期は長く、本質的に家族や地域と共生し、「和をもって尊しとなす」とあるように平和に暮らせるのであれば、平和に暮らすことを望む人種であると信じるに値すると思う。もちろん例外はあると思うし、韓国併合満州事変、盧溝橋事変、日中戦争南京大虐殺など卑劣な道へと突き進む原動力となった日本人が居た事は事実であると思う。その事実には中央政府により関東軍をはじめとする現地軍部の独走を統制出来なかった統治制度に問題があったと思う。その場合に、現在、米国の軍備再編にかかる過程で米国軍部と自衛隊の関係が強化され、そこで決まった方針を政府が受け入れる流れになっているという論調も見られ、非常に危惧を感じる。また、日本が軍事国家に突き進んでいったのは、1800年代の欧米列強の帝国主義からの圧力に対して対抗すべき手段として止むを得ない方法であった事は、一定の事実であると思われる。もちろん全てを肯定するつもりは無い。むしろここで言いたいのは、日本という国は国際情勢・軍事情勢による圧力を受けなんらかの対応せざるを得ない環境にあったという事である。この事実は、現在も変わらない。もちろん日本に安易な軍備化を求めるつもりは無いが、自民党の武見氏が言うように明確な防衛戦略、自衛戦略を持ち、文民による強固な統治体制を確立した上で、必要な軍備力は持つべきであろうという主張に筆者は慎重ながらも同意する。その際に、自国防衛のための軍事力の保持や、集団的自衛権の行使についても憲法解釈によっては不可であると言うあいまいな憲法は、慎重に細心の注意を払ったうえで改定すべきであろうと思う。また、この過程において日本国民が国防とはどう言う事なのかと言う事を他人事として捕らえず、自分の事として考えて意見表明する事が重要であると思われる。