<Ⅱ.外交(外務省・防衛庁)>

注)9/15の日記が目次になっていますので、ご参考下さい。


③ 対中国指針


 ・1990年代頃から中国に対する脅威論は根強く存在している。事実として、経済的発展を背景に政治的にも軍事的にも大国化している中国に対する一定の警戒感と言うのは、ある意味正常な反応と言えるかもしれない。しかし、日本は過剰な警戒をするあまりに中国と対立すると言う構図にならない様に配慮する必要がある。日本は、あくまでも中国とパートナーシップ、友好関係を構築することが重要なのである。もちろん中国と言う国は、共産党一党支配や伝統的な中華思想などが存在しており、日本の文化や伝統などと相違する部分は多くある。少なくとも一筋縄ではいかない国であることは間違いない。政府だけでなく国民気質としても自己主張が強く、自分だけでも豊かになってやろうという気概がある。これは、13億人とも言われる人口のなかで埋もれないための必然的な心理状況なのかもしれないし、その事を批判するつもりは全く無い。しかし、そういう中国、中国人といかに友好関係を結ぶのか?その視点を明確に持つ必要がある。例えば、小泉首相靖国参拝に対して批判を表明する中国執行部に対して、日本はどのような対応をすべきなのであろうか?確かに中国は、A級戦犯合祀直後の数年間は、直ぐに非難等を表明する事は無かったにもかかわらず、中曽根首相以降になって急に批判を強めたことは一貫性がないように感じる。また、江沢民政権の時代から再開された反日教育天安門事件で高まった共産党への国民の不満を逸らすためのものであるかもしれないし、その延長として靖国問題を取り上げているように感じる日本側の意見もある。では、日本は首相が靖国参拝を行うことに対する非難を、中国側の勝手な自分勝手な批判であると切り捨てるべきなのであろうか?まず確認したいのは、恩周来、毛沢東と結んだ日中共同宣言(1972年)の際の中国側の主張としては、A級戦犯が戦争責任の全てであって、その他の日本国民は被害者であるという論理で中国国内世論を納得させた経緯がある。日本側もその事は承知したうえで友好関係を結んだはずである。つまり、日本の首相である小泉首相がそのA級戦犯の合祀されている靖国神社に参拝すると言う事は、中国の偉大な政治家である周恩来毛沢東との約束を軽視していると言う事になりえるのである。反論としては、安倍新総裁が主張するように、その事実は条約としては明確に記載されていないため、外交上の正式なコンセンサスではないとする考えもある。しかし、問題なのはこれまでこれらの事実に対する説明が小泉首相から明確に発信されなかったと言う事であり非常に残念である。ただ、靖国参拝を中止したからといって中国が全てにおいて日本批判をやめるという保証もないのは事実である。日本の中国進出に関する新たな違うカードを切ってくるのであれば、日本側としてはジリ貧になる危険性もある。そういう意味では、安易に靖国参拝を中止すると言うのはデメリットが大きいかもしれない。しかし、だからこそ中国側が批判する本当の理由が何であるかを日本側が理解し、どういう対応が中国との友好のために必要なのかを議論する必要がある。その相互理解の達成のための首相同士の会談を否定する今の中国の姿勢は、非建設的であり批判するに値すると思われる。その他の論点としては、中国のエネルギー戦略は影響力が大きく多岐に渡る。現在は、ロシア、中東、ベネズエラ等にその供給基を拡大しつつあり、世界全体にとっての不安材料となっている。昨今の原油高は、中国やインドの石油需要の拡大により、近い将来に石油の枯渇が実現するとして先物買いによる相場の高騰が引き起こされているとされている。日本にとっても、サハリン沖の石油開発の権益問題など、非常に目の前的な死活問題でもある。いずれにしても中国が今後アジアにて強大な影響力を持つことは間違いないだろうし、その中国との信頼関係を構築し、アジアの安定と繁栄を主導する事は、今後の日本国にとり非常に意味のある大きな仕事である。その際に、日中2国間の問題としてではなく、先述のようにアジアの中の日中関係として位置づけることが重要であると思われる。